輪るピングドラム第12駅「僕たちを巡る輪」感想

桃果含む大勢の人間が犠牲になった16年前の事件を起こした組織の首謀者は自分の両親だった、と語る晶馬。これが前回の「僕たちのせいなんだ」の根拠なんですね。根拠として成立してなくね?と個人的にはやっぱり思ってしまうわけですが、犯罪者の家族が犯人の起こした犯罪に対して大なり小なり責任を感じるというのは別に珍しい事ではないですし、そういうものなのかもしれないと思う。

ついでに田蕗の追想シーンも挟まれます。田蕗と桃果はいつも待ち合わせして一緒に登校していて、事件の日たまたま落ち合えずそのまま(遺体もない)、という別れだったんですね。

告別式の場で一人「僕は信じない」と視線を落とし握った手の指に、謎の痛々しい傷痕が在るのに注目しておきたいところ。(話の本筋に関わらないモブキャラを全員ピクトグラムにしてしまうような大胆な画面作りをしているこのアニメにおいて、敢えて描写されている情報には必ず意味がある。)

 

そして回想シーンから現代に戻り、プリンセス・オブ・ザ・クリスタル(帽子に憑依されている状態の陽毬を公式でそう呼んでいるので、ここからそう表記することにします。略してプリクリ様)が衝撃的な宣告をしたのち、陽毬はふたたび倒れます。ここまで12話かけて晶馬と冠葉が必死に繋いだ陽毬の命が、ここで燃え尽きてしまうんですね。

ここで思うのは生気のなさが非常にリアルだなぁと。ここ以外で陽毬が死んでいる画もそうですが、この作品は死んでいる状態の描写がかなり丁寧だと思います。うまく言えないが、肌の色、表情、髪の艶、関節の角度や指先の力の入り方など様々な要素によって「この人間は死んでいる」というさまを余すところなく表現していると思うんですよね。ただ動かなくなっているわけではないのですよ。流血もしないし瞳孔開いて倒れているわけでもないのにここまで「死んでる感」がリアルに出るのは凄い。

 

死んでいく陽毬を前に、晶馬はメリーさんの話を始めます。「メリーさんが犯した禁忌に対する罰を、一番小さな子羊が受けることになる。それが陽毬。」という話。

かなり回りくどいし、羊が高倉三兄妹を表すのはよいとしてメリーさんは?女神は?金色のリンゴや女神の灰は何を意味するの??となってしまうんですが、ここは「親の犯した罪に対する罰を一人の子どもが受けることになった」というキーメッセージの部分だけ掬い取ってやればよいのかな、というのが私の考えです。

つまり、陽毬の病気は高倉剣山・千江美の犯した罪に対する罰であると。そんなわけあるかよ、と私は思いますが、まあ罰が当たるとか、祟りとか呪いとか、近しい考え方は昔からよくあるから、そういうものなのかもしれないですね。(今回2回目)

 

晶馬がメリーさんの話をぶつぶつ呟く間に、冠葉はあの精神世界で生存戦略リベンジチャレンジを挑み、不発に終わります。

冠葉の胸の中央の赤い球体を見て「赤く燃える蠍の心臓よ」とプリクリ様が言うシーンが印象的ですね。蠍の心臓の元ネタは勿論宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」。イタチに追われて命を落とし、井戸の中で自らの命を他の生き物に与えたい、と強く願った蠍が死後夜空でその心臓を赤く燃やして野原の生き物を照らす、というあの話ですね。蠍の心臓とはつまり、自己犠牲を伴って燃える愛の炎を意味する、といったところでしょうか。

冠葉の体からその赤く燃える蠍の炎を取り出して陽毬に移植しようとするシーン、なんか絵面が性行為みたいだなと昔から思っているんですが、あれって性行為のメタファーだったりするんでしょうか。あの場面はやっている事としては命を分け与えているので、性行為とはちょっと違うのかなとも(性行為は命を生み出すor捨てるものですよね)思うんですが、、それにしてはやけに生々しいんだよな。とか言ってたら「生存戦略しましょうか」って軽々しく言えなくなっちゃいますが。(そもそも日常生活で軽々しく言わないですけどね)

まあいずれにしてもあれは命のやり取りだから生々しいのも当然、といったところなのかも。

 

「どうして、俺じゃだめなんだ」がっくりと膝をつく冠葉の元に、ロン毛の怪しい青年と、ウサギを思わせるリボンに黒い衣装で固めた少年x2が現れます。「そう、君じゃダメさ。だよね?」

第9駅「氷の世界」でそらの孔分室で陽毬をの心をかき回した怪しげな人、渡瀬眞悧がふたたび登場です。声から、彼が冒頭で冠葉に怪しげな電話を掛け「運命の至る場所から来た者」と名乗った人物だと分かります。なるほど、プリクリ様と同じ場所から来た存在なんですね。

この「運命の至る場所」ってthe place where the destiny comes fromともthe place where the destiny gets toとも取れるのが良いですよね。味わい深い。。では、プリクリ様と眞悧先生はどちらから来たんでしょう、という話になりますが、これは私個人的には「どちらも」だと思っています。だってこの作品のタイトル「ピングドラム」ですからね、輪の始まりも終わりも同じ場所にある、ということになるかなと思います。

 

次回は第13駅「 …とサブタイトルを書きかけましたが、そういえば輪るピングドラムはサブタイトルをその回のラストに出すんだよなということに思い至ったので書かない事にしましょうか。この感想ブログは「1-24話N周した人間がもう一度読み直してネタバレをせずに感想をつらつら語る」というコンセプトなのでね。

来週もレッツ生存戦略