昔の友だちの話

今度の日曜日、美味しいタルトを食べに行くお誘いをされた。カレンダーに予定を入れると、その日は「xx 's 25th Birthday」と書かれてもいた。

10年くらい前の、古いお友だちの誕生日だった。

 

xxさんではあまりに味気ないので、ハナちゃんということにしようと思う。HANAではない。

 

ハナちゃんと私は元はとあるブログサイトで知り合った。お互いメンヘラに片足を突っ込んでいたので(彼女は既に半身くらいそうだったかもしれないし、10年後わたしは本格的にどっぷり浸かるわけだが)、何度も垢消しと転生を繰り返していたのだが、転生しながらずっと繋がっていた。何のための転生なのだよと言われるかもしれないが、私の考えでは、何かを消す・捨てるということが癒しになっていたのだと思う。

最終的に彼女とはツイッターでやり取りしていたのだが、そんなことはわりとどうでも良くて、彼女の人間性の話をしようと思う。

ハナちゃんは弱くて柔らかくて温かかった。言葉がとてもやさしかった。江國香織吉本ばななのような温度の文章を書いた。

中1から不登校を続けている筋金入りの不登校だった。心も、たぶん体も繊細な人だったので、思春期の学校はちょっと刺激が強すぎたんだと思う。

私は通学に往復3hかけて、殺伐とした教室でなんやかんや生き延びていて、不良ながらも流される形でけっこうな量の勉強を(結果的には)していたので、彼女を見て甘ったれだなあとか、甘えられていいなあとか思っていたのだけど、不登校になるのも不登校であるのもそれなりにコストがかかると、会社で不登校?不登社?なんていうの?をやったあとの自分ならわかるので、それを口に出さなくて本当によかった。口に出さなくてもいいどころか出さない方がいいことってめちゃくちゃ多い。

家庭環境があまりよくなく、学校にもなじめなかったハナちゃんと、家庭が荒れはじめて、学校が嫌いだった私は、波長が合っていた。と書くとたぶん文章に対称性が出て美しいのだが、実際のところ、私が彼女と会話できていたのは私が無力感を持っていたからだと思う。中学受験で失敗したこと、成功に満たなかった自分を近しい人に認めてもらえなかったこと、とか。このネタいつまで擦ってんのかなって感じなんだけどね。

逆説的に、受験勉強に熱中して私が無力感を忘れたころから、段々と会話が少なくなっていって、いつの間にか関係が切れてしまっていた。

LINEは少し前まで繋がっていて、アイコンが赤ちゃんの写真になっていた。おめでとう。今更、何年越しの一言目でそんなこと言われても不気味だと思って言えなかったけど、おめでとう。