輪るピングドラム第10駅「だって好きだから」感想

Ep.9からまた時間軸が戻り、Ep.8の続きの話。

夏目真砂子がその怪しげな存在感を強めるこの回は、真砂子の正体は?日記は誰がどれだけ持っている?という話はさておいて、全体を通して重要な点はタイトルに表れているんじゃないかと思っている。そう、これは色んな人にとっての

「だって好きだから」

の話。

 

晶馬が誘拐され、身代金として日記を要求されると、何の躊躇いもなく日記を差し出そうとする苹果。前々回まで日記>>|超えられない壁|>>晶馬だったのにえらい変わりよう。。

日記(というより、日記に従って桃果になること)は苹果にとってそれまで人生のすべてだったわけで、その日記を手放すというのは苹果の価値観の劇的な変化だと思う。それだけ、Ep.8で晶馬のとった言動が苹果に影響を与えたということなんだよね、たぶん。Ep.8時点では晶馬の心配は苹果にあまり響いていなかったが、晶馬が身を挺して自分を守ったのを目の当たりにしたことで晶馬への見方が変わったし、たぶんそこから後追いで晶馬の言動が咀嚼されたというのもあるんだよな。

まあ、だからと言ってこの回のタイトルが苹果のものだと断定したいかというとそうでもなくて、この回からは苹果→晶馬の気持ちには「申し訳なさ」みたいなのが前面に感じられるから好きというのはちょっと違うんだけど。

 

「だって好きだから」というのはでは誰の話かというと、冠葉と真砂子の話なんだよね。冠葉→陽毬と、真砂子→冠葉。

 

冠葉は年の割に大人びていて、且つ女慣れしているのに、陽毬の前だとつい喋りすぎたり、全然格好をつけられない。格好をつけるどころか、むしろ陽毬から額に手を当てられて照れてしまう。このシーン、好きだなあ。「輪るピングドラム」における数少ない純粋な癒しシーンな気がする。

 

真砂子は冠葉に大きな気持ちを向けるあまり、ごてごてと手の込んだお弁当やウエディングケーキ、手編みのセーターでがんじがらめにして冠葉に強引にキスをする。

興味ない女からのクソデカ感情の押し売り大勘弁、という冠葉の気持ちはとてもよくわかるし、一方でどこまでも気持ちを向けてしまう&形にせずにはいられない真砂子の気持ちもわかる。悲しい。。この二人の関係はどこから来て、どこへ向かうんだろう、というのがこの回以降で更に気になっていくところなんだよな。

そして、ここで真砂子は冠葉に銃口を向けたり、キスをしたり、といった気持ちの向け方をしているということにも注目しておきたいところだなと今更思った。

 

この回でタイトルの他に注目したいのが、挿入歌。Ep.9から引き続き挿入歌(BGM?)のセンスが光っている。

真砂子が冠葉を怪しげペンギン空間の奥深くへ誘い込む時、妙に歪んだ音で流れているBGMは交響曲第9番新世界より」第2楽章「家路」。「輪るピングドラム」でクラシックが挿入される場面、軒並み好き。。(勿論一番好きなのはEp.9の例のシーン)

あの地獄みたいな廊下で「家路」?wという感じですが、これはなんていうか、真砂子からのメッセージですよね。。「自分の元に帰ってきて」というね。

 

まあでも、「だって好きだから」って「好き」という気持ちに引っ張られているさまを示唆するフレーズだけど、そうまで人を好きになる/好きでいるって尊いよね。なんか私は自分の感情が大きく動く事にもう疲れてしまって、仕事とバレエ以外に大きな感情を向けることがなくなったんだけど、人間と人間が繋がるにあたっては時に自分が傷を負うくらいきちんと相手に気持ちを持つことって大事だよなと思うよ。このあたりは「さらざんまい」でも語られている話か。

 

次回は第11駅「ようやく君は気がついたのさ」。