輪るピングドラム第21駅「僕たちが選ぶ運命のドア」感想

高倉家解散、の巻。

 

「それにしても、あの記者今度見かけたらただじゃおかないんだから!」

高倉ハウス縁側で陽毬と並んでお菓子をつまみながら、高倉兄妹の身辺を嗅ぎまわる週刊誌記者に憤る苹果。ではなく、この台詞と並行して庭の鉢植えに栄養剤を差し込むサンちゃんに注目してほしい。

この鉢植えが何か(愛?)のメタファーになっていて、この後最終回に至るまで度々登場します。

「あのね、苹果ちゃん。うちはミカちゃんハウスなんだよ」

冠葉と晶馬が陽毬のために家の壁を塗り変え、ベッドを用意したエピソードが語られます。これEp.24Bパートでもう一度出てきますね。「うちの壁に色を塗ろうと言いだしたのは冠葉だった――」。ちなみに小説版だと、晶馬はこの出来事があってから、冠葉を兄と呼ぶことに抵抗がなくなった、という言葉が(24話にあたる部分に)追加されていて味わい深い。

 

「リナちゃん」から眞悧先生の診察室のシーンは、突然のホラーで慄きますね。ピングドラムこの辺りからホラーみが強くなる。

元々1話あたりから、陽毬の死体は死体らしく表現されていて、ホラーの片鱗(死体イコールホラーではないが)は出ているのだと思う。

 

「ようやく全てを思い出したようね。そう、わたくしと冠葉は血の繋がった本当の兄妹。あの時、冠葉はわたくしとマリオさんのために、自分の人生のすべてを捨てて、父とあそこに残ったの。」

真砂子の衝撃告白。これ何度か伏線は小出しにされてましたけどね。。

冠葉と晶馬が殴り合う中、家で一人待つ陽毬。夏芽家での会話や家の中の写真を思い起こしながら、自分のために冠葉がずっと身を犠牲にしていた(そして自分がそれを見ていたが、敢えて意識していなかった)ことを実感する。そして、今度は自分が冠葉を救わなければいけないということも。

「これで俺たちの関係も終わりだ。長すぎたんだ、何もかも。」

組織との関係が明るみになり、晶馬は冠葉を糾弾する。しかし悲しいことに、冠葉が組織と繋がらないことには、陽毬の治療費が用意できないのも事実なのですよね(それをしてもなお余命僅かというのがまたやるせないが)。

そして冠葉は高倉家を去り、晶馬は陽毬に高倉家の解散を宣言する。この場面、切ないなあ。全話通して一番「痛い」かもしれない。

「私、不幸なんかじゃないよ。だから、」

ここで蛇口から水が垂れるのが良いですよね。(敢えて説明するのも野暮だけど)ここで陽毬が涙を流している描写はないが、この水滴が陽毬の気持ちを表しているのだよね。

しかしやはり陽毬はもう高倉家という共同体は自分がここにしがみつこうと、諦めようと、既に壊れてしまったのだと思い直し、高倉家を去るのですよ。で、マフラーを返すんですね。「これで晶ちゃんと私は他人だよ」って。

そんなことあるわけないのになあ。

そんなことあるわけない、と思わない?

だって陽毬が陽毬であるのは、高倉陽毬であったからで、それはマフラーを誰が持ってるかなんかで変わったりしないよ。絶対に。と思う。勿論あのマフラーを明示的に晶馬に返すというところには大きな意味があったけど。

あのマフラーを晶馬に返したことで陽毬は晶馬との繋がり、というよりあの場面ではむしろ晶馬への恋心、を断ち切って、自分を守ろうとして命を削っている、もう一人の家族である、冠葉を救いに行くのですよね。

ここで陽毬が女の子から少女になっている(少女から女性になっている?、とにかく精神的に一段階ステップ上がっている)のがぐっとくる。